積み木崩し

1. 不思議な現象

時々、自分に対して「ワケがわからない!」と叫びたくなる現象というのはある。
なんでこんなところにこんな大事なもの隠したんだ…?
なんでこんな重要なもの捨てたんだ…?
なんでそんな重要な事メモしておかなかったんだ…?
などなど…。

その中でも特に極めつけて数年間悩まされてきた事がふっと理解出来て視界がパーっと晴れたような気がしたから綴ってみる。もしかしたら同じ悩みを抱えているかもしれない人のために。そしてまた同じ現象にぶち当たった未来の自分のための備忘録に。

2. どうにもならない辛さ

3年前から毎年のように悩まされてきたこと。
ある時突然、何もやる気力がなくなり、
すぐに身体がだるく、朝起きられなくなり、
重要なことを忘れるようになり、
頭が回らず、動作が鈍くなる。
今まで好きでやってきたはずのことがたまらなく苦痛になる。
大好きなはずの仲間に会いたくなくなる。

酷い時は全く動くことができず、布団で寝込む日々が続く事もある。
突然の過呼吸、寝ても寝ても眠くなる等…多くの不調に見舞われる。

そして、大体そのタイミングで何かを切り捨てたり、環境を変えているうちに治っていることが多い。

けれども、毎回毎回相当なタイムロス。
生産性が下がるし周りに迷惑かけるし、何より自分にとって多大な損失だ。
一体この現象の原因は何なのか?

仮に「電池切れ病」と名付けることにした。
ネーミングセンスは突っ込まないでいただきたい。

3. 「電池切れ病」について知るために

ストーリー仕立てで「電池切れ病」を追ってみることにした。
ピタリとハマる例えが冒頭の「積み木崩し」だ。

積み木をどんどん積んでいくと、
段々高くなっていき、
不安定になり、
やがてバランスを崩す。
そしてまた一から積み直す。
コツをつかんでさっきよりも高く積めるようになる。
しかしまた崩れる。
その度にさっきの自分を超えたくなる。
もっと高く…もっと高く…。
しかし、やがて何度やっても超えられない地点が出てくる。
それでもまた、前の自分を超えた刹那の喜びを味わいたくて積む。
しかし、段々さっきは積めていた高さにすら到達できず崩れ始める。
次第に「自分は何をやっているのだろう?」と惨めに思えてくる。
やがて積み木が崩れても、積み直す気力が無くなる。
この瞬間こそ「電池切れ病」襲来だ。

積み木を積み上げ、前回の自分という壁を超えたその刹那の喜びを味わいたくて、
積み上げるのは、何かに挑戦している時、行動している時だ。
「それやります!」
「これやります!」
周りに目標を宣言している時。
そして自分が宣言した目標に向かい、
積み木を積み続ける。
前回の自分を超えた刹那の喜びは非常に快感だ。
反面、崩れたらたまらなく悔しい。
だから何度も何度も積み上げる。

前回の高さを超えた刹那の喜びの後に来るのは、
「またこの快感を味わいたい。」という気持ち。
次はこの壁を超えたい、とすぐにまた目標を立て、積み始める。
それにはとても神経と労力が要ると分かっていても。

崩しては積み上げ、積み上げては崩す。
段々と前回の壁はなかなか超えられなくなっていく。
それでも何度も何度も積み上げていく。
次第に今まで安定的に積めていた高ささえも積めなくなる。

そうして気づく。
「自分はなんてみじめなんだろう?」
何度積み上げても崩れる積み木。
しまいにはどんどん低くなっていく積み木。
周りを見渡せば、自分より高く積み上げる人々ばかり目に入る。

「自分は何のためにここにいるのか?」
それを見失った瞬間、電池切れのロボットみたいに全てを拒絶する。
自分がたまらなく惨めになる。

目標を追うのは達成した刹那の喜びを味わいたいからだ。
その先にある喜びを知ってしまったから。
癖になるおやつみたいなものかもしれない。

4. 目標の甘い罠に溺れない

目標達成の刹那の快感は実に楽しい。
だが、大切なことを忘れないでほしい。
「自分は何のためにここにいるのか?」
目標達成の刹那な喜びだけではなく、
自分の生きる目的を見失わず生きてほしい。

目標を立て、目標達成に向けて頑張るのは悪くない。
しかし、大切なのは目的である。
目的は、目標の罠から身を守ってくれる。
目標達成は目的のためなのだ。
積み木が崩れたら、見るのは目標ではない。目的た。
目標なんて、その道のりに過ぎない。
一歩一歩、積んでいこう。

自分に言い聞かせていますが、皆さんにも是非、忘れないでほしい言葉です。