特に大きな悩みも無いのに「渇いている」感覚の正体は?

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桜がきれいに咲き始めた今日この頃。

新社会人が希望に満ちた目をしながら歩く。そしてすぐに「だるい…。」に変わっていく。

そんな中、私はずっと「何かが足りない。」という感覚に苛まれていました。

正体が分からず気持ち悪い。そして止まっている余裕はない。

無性に不安になったり自信をなくしたりする。

正体の分からないものを許せない私はとことんそいつと向き合った。

言うなれば、

「渇いた」感覚

しかし、何が渇いているのか?

はっきりしないものが嫌いな私は「渇き」の正体を突き止めようとした。

そして先日、見つかった。

「もっと皆、好きなことを仕事にすればいいのに。」

それだ。私に足りなかったもの。

営業は嫌いじゃない。Webデザインも手書きは苦手だけどパソコン上なら思うものを作れるからやりたかった。

でも…それらは「好き」であって「熱中するほど好き」とは違った。

自分が熱中するほど好きなことはなんだろう?

 

自分が過去に夢中になったことを、本気で素直に向き合って考えてみた。

「カラオケで歌い明かしていた日」
「ライブで飛んだり跳ねたり走り回った時」
バンドで他の皆と音を合わせ、一つの曲を作るつもりでドラムを叩いている時」
PA卓を操作して心地よい音のバランスを調整している時」
フィギュアスケートで音楽に合わせ、華麗に舞い、ジャンプやスピンをする選手を見た時」

私が本当に心から夢中になれることの中には必ず「音楽」があった。

幼少期から心を捉えて離さないもの、それが「音楽」

 

最近の自分の生活からは音楽がすっぽり抜けていた。

大好きだったライブには忙しさと金銭面を理由に行かなくなった。

必須アイテムだったウォークマンは家に置き去りに。

ドラム機材はお金が無さ過ぎた時に楽器屋で売り払っていた。

カラオケもお金が無くて一人では行かなくなった。

 

でも、この前久々に仲間内でカラオケに行った時に何か目覚める感覚があった。

歌いまくっても全然疲れない。

マイクやアンプを通して流れる音の懐かしさ。

そして他の人の歌に合わせてタンバリンを鳴らしている時にはドラム演奏の感覚を思い出した。

 

これだ。これが好きなんだ。

そう思ったのに、しばらくはその感覚に蓋をしてしまっていた。

「お金のかかる遊びだし。」

夢中になってはいけない、と自ら蓋をした。

 

でも、そんな必要無かった。

好きなものを好きと言えないよう、自分で自分を縛っていただけだ。

縛られることは何よりも嫌いなはずなのに。

自分で自分を制御出来なくなる気がして怖かった。

 

制御出来なくなるほど熱中したところに強力なパワーやエネルギーが生まれる。

好きに勝るものなし。

好きなものを好きと言おう。